butaji.com
2018 07 18 out
インタビュー(前編)
『告白』は、とても個人的な作品だ。ここに収められた9曲のモチーフは、その大半がbutajiという一人の音楽家がその目で見たもの、あるいは実体験から浮かび上がったものであり、そこには彼のうちに秘められてきた苦悩や葛藤が密接に関わっている。同時に、『告白』はこの社会全体の根本的な課題をあらわにした作品でもある。本人の言葉を借りれば、それは「わかりあえなさ」。今この瞬間も世界のいたるところで、それぞれに異なる出自、思想、信仰、政治観、セクシュアリティをもつ人々が、互いを認められずにぶつかり合い、引き裂かれている。それは対岸の出来事ではない。気づいていようがいまいが、分断と衝突はあなたの身の回りでも起きている。

冒頭で「個人的な作品」と述べたが、その「個人」とは作り手であるbutajiのことであり、私のことであり、あなたのことでもある。『告白』というアルバムを聴き、「もしかしてこれは私のことなのではないか」「この歌をいちばん理解しているのは自分なのかもしれない」と感じた人は、きっと少なからずいるだろう。陳腐な言い方をすれば、それがポップ・ミュージックの魔法なのだと思う。そして、butajiは誰よりもその魔法を信じているのだと思う。

そんなセカンド・アルバム『告白』について、butajiに話を訊くことができた。そのほぼ一部始終を2回にわけてお届けしたい。前編は、butajiが『告白』に取り掛かるきっかけとなった、いくつかの重要な出来事について。後日公開される後編では『告白』の全収録曲をひとつひとつ語ってもらっている。では、最後まで楽しんでください。この『告白』があなたにもきっと響くと信じて。
取材・文:渡辺裕也

—— 前作『アウトサイド』がリリースされた際にも、僕はbutajiさんにインタヴューしていて。あれからもう3年が経とうとしているんですが、butajiさんはあのインタヴュー中のご自身の発言がずっと引っかかっていたんだそうですね。

butaji:はい。あのCINRAのインタヴューのなかで、たしか僕は「どこにでも、行きたいところに行けばいい」みたいなことを話していたと思うんですけど。

—— 憶えています。「その人がどこで生きるのかは自分自身で選んでいいんだ」みたいな意味合いでしたよね。

butaji:なんか、その発言があとから引っかかってしまったんです。「自分はどういう立場からこんなことを言ったんだろう?」って。というのも、「今いるところから別の場所に移動する」という選択肢って、優位な立場にいる人しか選べないんですよね。つまり、あのときの僕はそういう選択ができない人のことを無視してしまっていた。誰かに指摘されたわけでもないんですけど、僕はそこですごく反省してしまったんです。なんでお前は高見の見物した気になってるんだ、と。

—— 今いる場所から離れたいと思っていても、現実にはそれができない人も大勢いるんじゃないか、ということ?

butaji:そう。たとえばお金や仕事の事情とかでそこに暮らすしかない人もいるはずなのに、多分あのときの僕はそういう人たちのことを考えていなかった。僕はそれを無下にはできなかったし、むしろ自分がいま歌わなきゃいけないのは、そこなんじゃないかって。

—— というのは?

butaji:今の問題は「違和感を抱えている者同士がおなじコミュニティで暮らしていくためにはどうすればいいのか」だと思うんです。つまり、どうにかしてお隣さん同士と付き合っていけなきゃいけない。そのためには何をすればいいのか。そこであのインタヴューでの発言を反芻していくなかで、「EYES」という曲が生まれて。

—— 今回のアルバム『告白』にも収録された「EYES」は、2016年3月にミュージック・ヴィデオが公開されていて。あの段階で、butajiさんは「もう次作にむけて動き出している」ともおっしゃっていましたね。

butaji:そうでしたね。ただ、そのときに思い描いていた作品のイメージは、「EYES」によって大きく変わりました。というのも、『アウトサイド』を作り終えた時点でもう既に数曲あったので、次の作品はそこから作ろうと思っていたんですけど、そんなときに「EYES」という曲がふと生まれて。そのときの感情の高ぶりが、なんというか、まるで蓋を開けてしまったような感覚だったんですよね。メロディもコードも歌詞も、一瞬にして出来たんです。そんな経験はそれまでに一度もなくて。

—— 「EYES」と、それ以前に用意されていた楽曲は主にどんなところが違っていたのでしょう?

butaji:まずひとつは歌詞ですね。あの曲のモチーフは「人が立ち入れなくなったような土地にドローンが飛んでいって、そのドローンが自分の目で見た情報を人間に伝える」というものだったんですけど、その歌詞を自分なりに読み解いていくなかで「人間が物事の色や様子を客観視できている状態なんて、本当はありえないのかもしれない」と思うようになって。つまり、人は思考をとおして物事を認識している時点で、なにかしらのバイアスをかけてしまう。だからこそ、機械はその人間には捉えられない美しさを逆に知っているんじゃないかな、と。だったら、人はそのままの美しさをどうすれば見ることができるんだろう。それがアルバム全体のコンセプトを構築するきっかけにもなったような気がします。

—— なるほど。

butaji:あとは、曲の作り方。「EYES」ができる前に用意していた楽曲のほとんどは、もっとビート志向というか、トラックメイキング的な作り方だったんです。で、それはそれでよかったんですけど、そんなときに「EYES」が生まれたことによって、PCでの曲作りを一旦やめてみることにしたんです。今回はそれよりもソングライティング、ギターとかピアノがあれば成立するような作り方で進めてみようと。

—— なぜそこまで極端に振り切ろうと思えたのでしょうか?

butaji:多分、挑戦したくなったんでしょうね。いわゆるシート・ミュージックというか、楽譜として次の時代に渡されていくような、それくらいに耐久性がある音楽を作ってみたかった。きっとそういう気持ちが芽生えたんだと思います。で、あれも2016年の3月だったのかな。「あかね空の彼方」という曲ができて。さらにその2ヶ月後に「秘匿」という曲ができた時点で、もう道筋はできました。それこそこの3曲はどれも短時間で洪水のように生まれたので、もうこの道をたどるしかないんだなと。

—— 衝動に身を任せてみようと思ったわけですね。

butaji:ええ。それこそ意識下に追いやられていた何かが吹き出してきた感じだったので。きっとそこには自分の言いたいこと、歌いたいことがあるんじゃないかなって。

—— 「あかね空の彼方」という曲には、何かしらのモチーフがあったのでしょうか?

butaji:どうだろう。やはりこれも内面的な衝動に従って書いた曲だったので、特にこれといったモチーフはないんですけど…。ただ、この曲をつくるきっかけとなったひとつの出来事については、はっきりと明言できるかな。

—— ぜひ教えてください。

butaji:僕が親しくさせてもらっていた方に、キリスト教にルーツをもつ、ある新興宗教の信者の方がいて。戒律上の理由で乾杯はできないらしいんですけど、その方と一緒にお酒を呑む機会が何度かあったんです。で、あるときにその方から「butajiさんは結婚しないの?」と訊かれて。そこで僕はポロッと「自分はバイセクシュアルなので、これからどういう方向に行くのかはまだわからないんです」と告白したんです。そうしたら、その方の表情が一瞬にしてこわばって。要は、戒律でそういう人は認められないんだと。それでいきなりよそよそしくなってしまって。

—— それは、つらい状況ですね…。

butaji:日本に住んでいても、こんなことがあるんだって。もちろんこれは僕が知らなかっただけなのかもしれないけど、こういう宗教的な違いに遭遇するような事案ってあまりないじゃないですか。だから、僕はこの出来事を自分の身に起きたことに対するショックというよりも、今後もし日本で移民の方を受け入れる体制が整って、近くにいろんな信仰の方、いろんな思想を持った方と一緒に暮らしていくことになったら、これはどう解決していけばいいんだろうって。そこをすごく悩ましく思ったんです。

—— そこで生まれた問題意識が、「あかね空の彼方」を書くきっかけにもなったということ?

butaji:まあ、あくまでもこれはいくつかあったきっかけのひとつではありますけど、大きな要素ではあったと思うし、その作業はものすごく衝動的なものでしたね。なんていうか、氷を切り出すような作業だなと。

—— 「氷を切り出すような作業」というのは?

butaji:この曲をつくっている最中は、そんなイメージを思い浮かべていたんですよ。なんていうか、大きな塊からなにかの形を切り出していくような作業だなって。そういう作業をしたのは初めてだったので。

—— 「あかね空の彼方」の歌詞には、butajiさんのなかにある郷愁がとても具体的に描かれているようにも感じました。

butaji:たしかにその郷愁は僕の中にあったものだと思います。とはいえ、もちろん「あかね空の彼方」はフィクションなんですよ。そもそも僕はガラス越しに煙草を点けたことも、さやえんどうを湯がいたこともないので(笑)。でも、それでもこの曲は自分のことを歌っていると思う。それに今のポップスの流れを見ていても、最近はその人のパーソナルなことを歌ったものがとても多いような気がするし。

—— 今のポップスというのは、たとえばどういうものを指しているのでしょうか?

butaji:それこそ宇多田ヒカルが亡くなった母のことを歌っているのもそうですし。フランク・オーシャンの「バッド・レリジョン」なんかもそうですよね。

—— それこそ「バッド・レリジョン」はbutajiさんが突きつけられた現実につながるテーマを扱った楽曲ですね。

butaji:そうなんです。あの曲には〈好きになってはいけない人を愛するのは、悪い宗教だ〉みたいな歌詞があって。僕はそれを聴きながら「これ、みんなは共感できてるのかな? まあ、俺にはわかるけど」みたいなことを思いつつ、「でも、今はこれをポップスとして捉えているんだよな」って。「あかね空の彼方」を書いているときは、なんとなくそんなことを考えていました。

—— その次に書いた「秘匿」からも、愛情の非対称性というテーマが読み取れます。しかも、これは「一橋大学アウティング事件(2015年4月、恋愛感情を告白した相手の暴露がきっかけとなり、ゲイの学生が投身自殺を図って転落死したとされる事件)」に触発されてつくった曲なんだとか。

butaji:ええ。たまたまあの事件を思い出す機会があったんです。もしかすると、それがきっかけとなったことで、なにかのタガが外れたのかもしれない。

—— 実際、あの曲は事件の被害に遭われた方の視点から綴られているように聞こえました。

butaji:もともと僕の曲作りは、小さい頃からずっとそんな感じだったんです。つまり、誰かの立場になって「きっとこの人ならこういう節回しだろうな」みたいなところから曲をつくりはじめたり、その人の立場で歌詞を書いてみたりとか、僕にはそういう癖が昔からあって。

—— それは、他者に感情移入しやすいということでしょうか?

butaji:そうですね。自分と他者との境界が曖昧なのかもしれない。そういう性格のせいでけっこう情緒不安定になることもあるし、実際にこの事件の被害者が書かれたLINEの文章を読んだときも、とても悲しくなってしまって…。この人のこと、僕はめちゃくちゃわかるんです。はじめにお話した3年前のインタヴューでの発言についても言えることですけど、これは気の利いた言葉なんかで慰められることではないんですよ。たとえばその人を軽いジョークで笑わせることはできるかもしれないし、その一瞬の楽しさを与えることも、ひとつの正解ではあるかもしれない。でも、それは本当の処方箋にはならないんですよね。だから、これは僕じゃないと書けないんじゃないかって。

—— うん。あの事件の被害者にここまで寄り添えるシンガーソングライターは、butajiさんしかいないと思います。

butaji:もちろんそれはあとになってから気づいたことですけどね。曲をつくっている最中は自分がなにをしているのかもわからない状態だし。でも、後になって考えていると、きっとそうだったんだなって。だから、今回の作品では自分にしかできないことをやろうと。この時点でそう思っていましたね。

—— 「EYES」、「あかね空の彼方」、「秘匿」。この3曲が揃ったこと時点で、アルバムとして目指すべき方向性はもう見えていたんですね。

butaji:ええ。ただ、「秘匿」をつくったあたりで僕の気持ちはとても落ち込んでしまって。本当に出歩けない状態がしばらく続いてしまったんです。

—— その苦しい状態からは、どうやって抜け出したんですか?

butaji:正直、今も抜けられているのかどうかわからないんですけど(笑)。それこそ2017年はなにもしてなかったのかもしれない。それで、たしか2016年後半あたりから七尾旅人さんに相談するようになって。

—— かねてから、butajiさんは七尾旅人さんに多大な影響をうけていると公言されていましたね。

butaji:そうですね。しかも、その頃の自分はもう完全に切羽詰まっていて、「この状況を理解してくれる人は、もう七尾さんしかいないんじゃないか」と思ってしまって。それで恐縮しながらも「このアルバムのデモを聴いていただけませんか」とお願いしてみたり。あのときはもう、本当にすがるような気持ちだったんです。

—— 先ほどの3曲が揃ったあとは、制作はしばらく止まっていたのでしょうか?

butaji:「抱きしめて」という曲も、2016年には出来ていましたね。この曲に関しては、じつは先ほどお話しした方に聴いてもらってるんです。後日その方から「手紙を送りたい」というDMがきて。それで住所をお伝えしたら、パンフレットが送られてきて。まあ、結局ぼくはその方から拒まれたってことなんですけど。そういう思い出が出来てしまいましたね、この曲は。あんなに拒絶される表情を見たのは初めてだったから、そこで(頭をかかえながら)「あぁ…」みたいな。「秘匿」の"認められたら"という歌詞も、多分そことつながってくるんじゃないかな。

—— この「抱きしめて」という曲に、僕は「祈り」のようなフィーリングを感じたんです。もっと言うと、この曲にはゴスペルを思わせる多重コーラスが施されていて。

butaji:そう、そうなんですよ。だから、この曲は祈るということ、宗教的なことを自分で受け入れた曲なのかもしれない。ただ、僕がここで〈抱きしめて 離さないで〉と歌うときは、もはやそれが叶わないことを前提としているような気持ちなんですよね。だから、このアレンジが仕上がったときは「これ、どうしようかな」とも思ったんですけど。

—— 意図せずして楽曲が宗教性を帯びたことに、すこし迷いが生じる瞬間もあったということ?

butaji:うーん。なんていうか、祈りながら音楽を作りたくはないなと思ったんですよね。でも、もはやそんなことも言ってられない事態だなと。それこそ30歳をむかえようとしていて、既に手に負えないことばかりだし。というか、もうこれはどうしたって宗教性を帯びますよね。だって、僕は愛をテーマにした作品をつくろうとしていたんだから。